今日(8/26)の日本経済新聞に、日本電産の永守重信CEOの後継者指名レースが混とんとなった旨の記事が掲載されていました。前日産COOだった関社長が後継者含みで入社していました。永守氏は78歳、関氏は61歳と日産での経営者経験も豊富であり、有力な後継者としてヘッドハンティングされて入社したのでした。その関氏が今年初めにCEOを解かれ、本人は捲土重来を誓っていたにも関わらず、退社の方向でコトが動き始めたのです。
「名選手、名伯楽(名監督)にあらず」を地に行ったこの事件。私は後継者を育てることの難しさを改めて知ることになりました。名選手とは永守重信氏のこと。1973年(昭和48年)に数人の仲間と小型モーターを製造する企業として永守氏が創業。以来、高度成長を続けて平成の成功物語として世間の耳目を集めてきました。
会社が大きくなるほど、後継者としての資質が問われてきます。もっとも期待されるのは、創業者精神の継続と成長を続けて行くということでしょうか。永守氏がこれまで後継者として仮指名してきた数名の人達は、この後段にある「成長を続ける」という責任の重さにつぶれてきたと言えるでしょう。なにせ、一代で巨大グループを創り上げたのですから、永守氏が後継者に強い思いを寄せるのは理解できます。しかしその期待の大きさが、やがて後継者候補が後継レースから脱落していくという事態を生み出しているとも言えそうです。
この事件をみて思い出すのはホンダの創始者、本田宗一郎の潔い退陣です。1946年(昭和41年)に前身の本田技研工業を個人創業した後、確か昭和48年に社長を退任し、取締役として数年間は社籍を残すものの、会長や相談役などの地位を得て後進に睨みを利かすということは一切しなかったようです。社長退任後は会社に出社もしなかった言います。本当に潔い退陣でした。
社長退任当時のホンダの売上高は4千億円程度、それが亡くなった1991年(平成3年)は4兆円をこし、そして現在は16兆円、社員数22万人の日本のトップ企業に育っています。本田宗一郎が社長を退陣した後、後を託した経営陣の若さにも驚きです。50歳前半の、本田宗一郎や女房役であつた藤沢武夫が育てた幹部が、本田や藤沢の意をくんで、世界に名をはす会社に育てていったのです。
如何に後進を育て行くかが、経営者の最重要な経営課題です。そして、一旦社長やCEOを譲るとしたら、もう一切関与しないという決意も必要なのです。私は永守重信氏が大好きです。経営者として尊敬しています。しかし、今回の関社長の退陣劇を観るにつけ、「本田宗一郎の人生を学んでほしい」と切に願わずはおられません。