昨日(1/17)は27回目の阪神淡路大震災の追悼の日でした。当職事務所では職員が12時から13時に休憩をとり、TVでお昼のワイドショーを観たりします。1月17日にも拘わらず、阪神大震災のことがこの1時間で話題になっていないのです。「なんでや~」。夜9時台のNHKニュースでも僅か数分の取扱いでした。「なんでや~」。神戸の街には竹灯篭が灯されていました。そこに書かれていた一字、「忘」に私の目が釘付けになりました。
人は、特に日本人は「忘れることに長けている」と言えそうです。人生100年時代を迎え、長い人生で楽しい事や苦しい事はゴマンと経験することでしょう。楽しいことは記憶に留めることは心身にプラスの効果があると思いますが、苦しい事、悲しい事、せつない事、号泣したい事などは記憶に留めるとトラウマ症状を引き起こすかもしれません。
「人生は苦しいもの」と理解していても、その苦しい事を思い出す度に、「前向きに進んで行こう」という決意が挫けるかもしれません。だから「思い出したくない」という気持ちも分からないではありません。
日本人は古来から四季折々多様な気象状況に晒されてきました。良いことでは春の桜、秋の紅葉が上げられます。一方の悪い事は多いです。冬の大雪、梅雨時の豪雨、地滑り、台風襲来、大地震と津波等々。しかし、日本人はこれら災害と上手に付き合ってきました。
日本人の心深くある自然崇拝の気持ちから、日本では八百万の神々を創り出しました。そのうちの1つに、物忘れの神様があるそうです。申し訳ありません。私はその神様の名前をしりませんが、ある神職(宮司)が話していたのを覚えています。確かに物忘れの神様がいらっしゃるのです。
何故、日本人が物忘れの神様を創ったのか。それは一つひとつの災害に執着しすぎると、前向きな生活姿勢を取られなくなるということを心配したのではないかと考えます。上手に災害と向き合おうという先人の知恵だったのです。
しかし、全てを忘れてはいけません。「同じ轍を踏む」という戒めの格言があるとおり、日常生活ではその災害のことを忘れていたとしても、ある時期に思い出し「同じ災害に遭わない様にしよう」と決意を新たにすることも必要なのです。
昨日の1/17、忘れもしない5千人超の死者や行方不明者を出した大震災。そして、平成23年の東日本大震災の大被害等は、日本人として決して忘れてはならない災害史の教訓として、私たちの心の中に留めておかなくてはなりません。昨日のメディアの対応をみて、このように思った私です。