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全体最適と部分最適、本音と建て前。東京オリンピック関連で矛盾する内容に戸惑い。

 2020東京オリンピックで日本選手が活躍しています。その一方で、期待されながらも実力が発揮できず、思い通りの戦績を上げることができず落涙にくれている選手もおられます。悲喜こもごものオリンピック観戦ですが、外野の発言等で少し矛盾があり残念に思っています。日本人特有の思考が背景にありそうです。今日はその件での投稿です。

 新型コロナウイルス感染症が急増しています。7月27日の東京の感染者数は2800人を超え、3000人に迫ろうとしています。菅首相に質問する記者の発言に「オリンピックの中止はあるのですか」とありました。この発言にビックリ。全世界的イベントが始まってから中止するとなれば、日本は世界の笑い者となるだけです。正しい質問は、「東京オリンピックに影響を与えない様に、感染者を抑え込む策は考えているのか」とすべきです。TVの街頭インタビューでは、「危機感が薄れ人通りが減っていない」等のコメントを述べる人が多いのに驚きます。オリンピック開催に伴う4連休もあったことから、暫くは感染者数は増え続ける可能性が高いようです。

 この感染者数増加はオリンピック開催前から警鐘を鳴らされていました。専門家と称する人たちが口々に「東京の感染者数は3千人をこす」と主張してきました。世論調査でも開催反対派が多かったのです。ところが、開会式を観た人が案外と多く、TV視聴率は56%だったそうです。1964年(昭和39年)の前回大会の視聴率は61%だったとか。日本人の意識の急変には驚きです。開催賛成派は1/3程度でしたから、開会式の視聴率はせいぜい40%程度というのが順調な線でしょう。56%の視聴率には驚きです。

 国政では野党の大半が開催に反対でした。無観客開催ではなく、中止や延期を主張していたのです。ところが、大会が始まると共に日本選手の活躍が連日報じられると、野党の責任ある立場の国家議員が「〇〇選手の活躍は素晴らしい」と称賛の投稿をSNSへアップするのです。「はて?、開催に反対していたのに、何でSNSに投稿しているの?」と不思議に思う人も多いのではないでしょうか。私もその1人です。

 その国会議員はこう主張します。「開催には反対した。しかし選手の活躍を褒めるのは別の問題だ」と。この議員は一時、野党の党首の立場にもあった人です。この国会議員の論理展開に「なるほど、別の問題なのか」と納得しそうな気がしないでもありません。しかしこれは論理のすり替えなのです。

 全体と部分とは一体なもので、別次元の問題と捉えてはなりません。部分最適の結果は全体最適とならなければなりません。また全体最適の為に部分最適を実現しなければなりません。会社経営では、会社の経営戦略と予算、そして各事業部の戦略と予算、とは完全に一致する必要があります。でなければ、社内にセクショナリズムが横行し、会社は安全にかつ継続的な発展は望むことすら出来なくなります。このような単純な法則が、この野党指導者は分っていないのです。「開催は今でも反対だか、日本選手は応援する」。この論理には主張の一貫性がありません。多少表現は悪くご容赦願いたいのですが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というのが論理・思想の一貫性があるというものです。

 野党指導者であっても日本国民ですから、日本選手の活躍に大声援を送りたいのは山々でしょう。だったら、SNSに投稿するなどして自分の発言を公にせずに、静かに応援すれば良いのです。SNSへ投稿するから、「主張が一貫していないのでは」と疑問や反論を受けるのです。全ての国会議員は公僕ですから、自分の主張に責任を持たなくてはなりません。徹頭徹尾、自己主張をして欲しいものです。「本音と建前とは別」では困るのです。野党指導者でなくても、経営者等責任ある立場の人たちには自分の発言には心して欲しいものです。