先週は静岡県や島根・鳥取両県、広島県、鹿児島・熊本両県で線状降水帯が発生し、大量の降雨があり、土砂災害や河川の氾濫による浸水被害が発生しました。梅雨前線もここ暫くは活発な活動をするようですが、梅雨明けの声も聞こえてきそうです。
我が家では2週続けて庭の草取をしました。また相続で譲り受けた実家の畑の草刈りも行いました。雑草は強い! 少し雨と適度な太陽の光の二つの条件が揃えば、たちまち繁茂し、しっかりと地中に根を下ろします、そうなると手で取るという簡単な作業では追い付かず、スコップで土ごと掘り上げることで除草するようになります。我が家の狭い土地でも約7時間はかかってしまうほど、雑草は”強い!”のです。
今読んでいる本に堺屋太一著「歴史からの発想」があります。愚者は自分の経験から学び、賢者は歴史から学ぶと氏は指摘し、歴史の中から経営者らリーダーがどのような意思決定とアクションをなすべきかを考えようと提案しています。
この本の中で、雑草と耕作作物との違いを取り上げています。耕作作物は農業者らが、土地を開墾・整備し、必要な肥料や水などを施します。沢山の実りができるよう品種改良も行っています。よって、人が欲する作物が大量に生産できるようになりました。耕作作物は自身の子孫を残す為に、人間の支援を受けるようになってしまいました。その為に、ほんのちょっとでも自然環境の変化等を受けると子孫を残すことができなくなるという弱点を持つようになったのです。
もう1つの植物である雑草は、人の力は一つも借りていません。いや、それどころか人は雑草を煙たがり、私のように除草という行為を引き起こします。子孫である種が地中深くに埋没していても、災害等で表土がはぎとられると、十分な日光を受けて直ぐに芽を出し、成長し始めます。芽を出し、成長し、花をつけ、実らせる。この期間は短時間という離れ業です。この期間が長いと、乾燥などの新たな自然の脅威に晒され、子孫を残すことができないからです。
雑草は至るところで芽吹きます。耕作作物は人の力がないと成長できません。両者の差異は極めて大きいのです。人の手を借りられなくなった耕作作物は、人の力を必要としない雑草に自分の住処を徐々に奪わられて行きます。雑草がはびこる世界は下克上の世界なのです。安定世界を前提とする耕作作物は、下克上の世界では生き残っていけません。
世界の経済社会を概観すると、雑草がぐ~んと急成長し続けている下克上の時代に突入していると言えます。経済規模が世界第3位の日本は、購買力平価で比較すると既にインドに抜かれて第4位になっています。安定社会に長年入り込んでいる日本経済。野心溢れる雑草がどんどん出没して、耕作作物を脅かす時代へと転換できるのでしょうか。そうすれば、耕作作物もうかうかしておられず、尻に火がつくかも知れません。
ただし、そのような世界が本当に私たちが望む世界なのか、慎重に考えてみる必要はあります。しかし中国や東南アジア諸国の活力をみると一抹の寂しさを覚える私です。