私たちの世界は「きょうそう」という言葉に取り囲まれています。「きょうそう」を漢字で書くと、一般的には競争という文字が浮かびます。これに関連して、私は狂騒という言葉があることに気が付きました。「相手に勝ちたい」という意識が全面に出て、必死な形相で戦い合うのです。その結果は、自分を含めた全ての人々を不幸にしてしまいます。4月18日付の日本経済新聞にごく小さい記事が出ていました。その標題は「コモンズの悲劇~全体の得にならず~」です。少し長いですが、全文を次に掲げてみましょう。
「共有の資源を巡って、個人の利益を追求しすぎるあまり、全体としては不利益を被ってしまうことへの警鐘。米生態学者のギャレット・ハーディン氏が1968年に唱えた。共有地(コモンズ)の悲劇ともいう。誰もが牛を放牧できる牧草地を想定する。1人ひとりが適正な数の牛を放っているときは、牧草は十分にある。ところが多くの牛を連れてくると、いずれは牧草がすべて食べ尽くされてしまう。そうなると結局は、すべての人が望んでいた利益を手にできなくなる。こうした考えは、生態系の保全や資源の管理を検討するうえでしばしば引き合いに出される。」
このミニ記事を読むと、現在の経済社会や国際社会でも応用できる内容だと確信しました。現在の経済社会を診てみましょう。どの分野でも全く自由な経済活動がなされているとは言い難いです。最初は多数の競争者相手がいたのでしょうが、競争に負けて強大な力をもった少数の寡占企業が市場を席捲しています。しかし、この寡占企業が事件・事故を起こしてしまうと、その影響は一挙に全地球的に広がってしまいます。最近あった例として、ルネサス・エレクトロニクスの工場火災が挙げられます。半導体を多量に使用する車の減産が強いられています。
国際関係でもコモンズの悲劇が発生しそうです。中国が軍事力、特に海軍力を強化してきたことにより、東シナ海、台湾海峡、南シナ海がきな臭くなってきました。軍事の専門家たちの憶測では2020年代後半には、中国は台湾へ武力行使をするだろうという話まで出てきています。吐出した軍事力は当該諸国や地域に不安定をもたらします。中国は自国の存在を強く主張したいのでしょうが、その副作用は徐々にマグマ溜りとなって、いつかは大噴火するかも知れません。
なにか物騒な予告をしましたが、与えられた条件を適正に行使していれば、経済活動や国際問題でも大きな摩擦は生じないと思います。コモンズの悲劇。このような言葉があることを、あらゆるリーダーに知って欲しいと願っています。