先日、妻と二人で四国八十八ケ所霊場巡りに行ってきました。今回は愛媛県のお寺を中心に21寺を参拝しました。ここ数日の大雨の影響も少しはありました。3日間の道中のなか初日は雨にたたられましたが、後の2日間は曇と薄日の指す日だったので、順調に巡拝ができました。感謝です!
「何で四国八十八ケ所霊場巡りですか?」という声が聞こえてきそうです。人生65年弱過ごしてくると、「あんなことをしてしまった、本当に申し訳ない」と悔やむことだらけです。善行も多少はあったのでしょうが、悪行の方が多いように思います。(善行の総数)<(悪行の総数)、となれば、あと何年この世で生を受けているかは分かりませんが、地獄の入り口で閻魔様が私を待っているかも知れません。「恐ろしや、恐ろしや」です。
四国八十八寺を巡拝したからと言って、悪行の全てが洗い流されるとは思いません。が、街中や山中深くにあるお寺さん(札所・霊場)を巡拝すると、心が洗われる感覚に陥ります。蝋燭に灯をともし線香を炊きます。そして、お寺さんの本堂・金堂と大師堂(弘法大師空海を祀っているお堂)に、家族の健康と平安を願って読経をします。
歩きお遍路さんがいます。私達夫婦は私が運転する車で参拝するのですが、さんさんと陽光がさす太陽の下、雨の中、強い風が吹く環境下で、黙々と次に参拝するお寺さんを目指して歩いています。頭に傘をかぶり、手には杖を持ち、肩には納経帳を入れた袋を下げて、ただ次の札所・霊場を目指しているのです。札所・霊場間が数キロの地域もありますが、数十キロも離れている地域もあります。市街地にある札所・霊場もあれば、傾斜が急で曲がりくねった細い山道の先にある札所・霊場もあります。歩きお遍路さんは、ただひたすらに歩き、そして本堂や大師堂にお経をあげるのです。何をお願いされているのでしょうか....。
こうした姿を見ていると、生きていることの素晴らしさを感じざるを得ません。今、この一瞬をしっかりと生き抜いていく。このような意識をもつことができるのが四国八十八か所霊場巡りなのです。