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中曽根元首相、101歳で逝く

 元首相の中曽根康弘氏が死去しました。年齢は101歳でした。権謀術数が渦巻く政界において50余年も国会議員を務め、日本経済がある意味では最盛期の時代に首相の座を射止めた人物です。小泉純一郎元首相から政界引退を勧告されたとき政界テロだと息巻いた毒舌は、政界引退後も国内外に一定程度の影響を与えた続けたようです。

 中曽根元首相は風見鶏と揶揄されていました。当時の自民党には派閥力学の中で”三角大福中”と首相候補が5名いました。三木、田中(角栄)、大平、福田、そして中曽根の派閥領袖が首相候補でした。その中でも中曽根派は弱小で首相になるには他派閥の支援が必要で実際、田中派の支援を得て首相となったのです。それ故に田中曽根内閣と呼ばれたのでした。中曽根元首相はそれも良しとしつつも、自分の強烈な主張は押さえた上で、諸々の改革を大胆にすすめたのです。現在のJRやNTTの元である公社を解体し民営化させたのは中曽根元首相の強い指導力があったからでしょう。

 ①自分のやりたいことをやる!ためには、他者の力を借りる。これは企業経営でも同じです。②時代の流れを読み取って自分に有利な方になびいていく。これも企業経営でも同じです。③現状を良しとせず革命的な構造改革をし再生を図る。やはりこれも企業経営では採用する戦略です。このような実績を振り返ると、中曽根元首相は日本国という組織を変革させようとした革命児だったかも知れません。

 中曽根元首相の行った政治と経済の大変革事業の功罪はまだ結論が出ていません。後世の日本人が決めることでしょう。しかし、現状に対して果敢に変革を求め続けたその政治姿勢は評価しても良いのではないかと私は思います。